石橋の上のハンマーブロス

石橋を叩いて渡る。

叩ける範囲だけ叩いた後で渡るのか、それともしらみつぶしに叩きながら渡るのか、はたしてどちらなのか。前者だとおそらくは石橋の入り口付近しか叩くことが出来ず、用心深い割にはなんとなく手抜き感が否めない。後者だと歩行可能な場所の全てを叩き終わる頃には石橋を渡りきってしまっている可能性が大であり、過剰に用心深い人物というよりはそのようなお仕事に従事している真面目な作業員であるということになって、つまりこの諺は諺としての機能を捨て、また違った意味合いを拾い始める。そしてもうひとつの可能性として、あくまでひとつの可能性として、ひょっとしたら石橋は崩れてしまうかも知れない。

ゴムハンマーでもってコツコツと。前方へと延びる石の集積体をコツコツと。その強度を訝しみながらコツコツと。四つん這いの姿勢でもってコツコツと。コツコツと。コツコツと。しかしこの行為は実のところけっこう危ない。
見た目が危ない。

ゴムハンマーではなく鑑識課が指紋採取する際に使用するあのポワポワだったとしたらあるいはと考えて、やはりそれでも十分に危ない見た目であるとの結論に至る。危なくても十分に格好良く決まるのは刑事という人種だけであって、ポワポワを持った鑑識課でもなければゴムハンマーを持って石橋を叩いて渡るいい歳した大人では決してあり得ない。

鉄板入りの軍靴で歩けば良いではないかというごもっともらしい指摘があるのかないのか。そもそもこの諺に対して何かしらの指摘を試みる奇態な人物が果たして存在するのかどうかという議論は一旦脇にでも置いておいて、ふむ、『置いておいて』という言葉は何となく魅力的な響きがあるなとすかさず寄り道を試みる。寄り道をする際の履物は決して軍靴ではなくツッカケが好ましいと思ってみて、しかし寄り道が本筋になり得る可能性を考えてみると、やはりランニングシューズ辺りが適切かとの結論に至る。結論はひとつの終着点であり同時に別の結論に到るための出発点としての機能も果たすのであるならば、石橋とは次の石橋へ到るために作られたもので、次の石橋は次の次の石橋に到るために作られたものなのかも知れず、しかし石橋は〝結論〟というよりはむしろ〝過程〟といった趣の方が強くないだろうかと、独りで仮説を立ててみて立てたそばから仮説をゴムハンマーで崩してみたりする。仮説は崩れたところで仮説なのだからそれも仕方なく、反して石橋はゴムハンマー程度のもので叩いて崩れる構造であってはならない。同様に鉄板入りの軍靴でぶち抜かれることがあってもならない。石橋とは堅固なものでなくてはならない。使用法を遵守する範囲においては。

物事の大概には急所が存在する。ケンシロウはそこに拳を打ち込んでから「お前はもうすでに死んでいる」と世紀末のゴロツキどもに対して無慈悲に言い放つ。そしてゴロツキどもはそんなことあるわけがないといったん訝しんでみてから壮絶な最期を遂げる。物事の大概には急所が存在しており、そこを完璧なインパクトとタイミングで突かれると世紀末のゴロツキが迎える最期に近い有様になることが知られている。死にはしないにしても死にたくなる過去を突かれて死んだも同然な体になることだって少なくない。物事の大概には急所が存在する。

いかに堅固な石橋であれ例外ではなく、急所はどこかに確かにあるはずで、そこにゴムハンマーでもって理想的な一撃を見舞ってしまうわずかな確率だってどこかに確かにあったとしても何ら不自然なことではない。病的に狂的に用心深ければ、その確率はなおさら高まる道理だ。しらみ潰しにコツコツ、コツ。ガラガラ、ガラ。あの時あの石橋のあの箇所をあの力加減で叩きさえしなければあの石橋へたどり着けていたかも知れない。
あの時あの石橋のあの箇所をあの力加減であの
あのあのあの。
〝A. No〟答は、否。
石橋は叩かれるために作られておらず、渡るために作られている。
ゴムハンマーは調べものをするために作られておらず、釘を打ち込んだり物を打ち壊したりするために作られている。
つまり

Q. 石橋の急所をゴムハンマーで叩くとどうなりますか?
A. 崩れます。

この問答は常識に照らし合わせてみて適当ではないのかも知れず、しかし堅固であるはずの石橋をゴムハンマーで叩きまくることも常識に照らし合わせてみて決して適当とは言い難いことから、条件的にはトントン、つまり世界観の一致を見ているため、一概に有り得ないとは言い難い。物事の大概には急所が存在する、ということも忘れてはいけない。

物事にはそれぞれに適した用法用量があり、やむを得ない場合を除いてそれに則して使用すべきである。
逸脱した使用法は逸脱した因果を形成するものであり、その堅固な見た目に反し脆くも石橋が崩れ去るのか。もしくは「あの人は何で石橋をゴムハンマーで叩いてるの?」と通りすがりのいたいけな少女から疑いの眼差しを向けられるのか。あるいはその両方なのか。そのような耐え難い未来が石橋をゴムハンマーで叩く人物に訪れることになる。

ゴムハンマーでなく、トンカチやカナヅチでも同様であることは言うまでもないが、トンカチとカナヅチの違いとは一体何だろうと考えてみて、ここでもすかさず寄り道を試みる。名前が違うのであれば何かが違っているのだ。履物はランニングシューズでどうぞ。

次の石橋はどこだ。