虚無への

〈サン=ベルナール峠を越えるボナパルト

ナポレオンが嘶く馬にまたがるあの有名な絵画ですが、この間、その絵が服全体にプリントされていて、なおかつナポレオンの顔が猫になっている、という不思議な柄のジャケットを目撃しまして、そして幸運にもそれを着ている人(初対面)と話すことが出来たのですが、
「それなんで猫になってるんですか?」
「これ◯◯◯っていうブランドで…」
「あー、だから猫ですか」(猫のキャラで有名)
「そうそう」
「でも、なんでナポレオンなんですかね?」
「さあ…」
どうやらそのジャケットを販売していた店の人からは〈なぜナポレオンなのか〉といった詳しい説明もなく、そしてそれを買った彼もその点については一切疑問に思わなかったようで、というかもうその時点で私はかなり悲しい気持ちになっていたのですが、でも何か意味があれば面白いなと思い、でも何か意味があれば面白いですね、と心の声そのままに藁にもすがる思いで返したところ、
「いや特に意味はないと思いますけどね」
なんだろう、この気持ちは。
私がかろうじてひねり出せた言葉に0.2〜0.5秒で意味はないと思いますと即座に斬り返すことが造作も無い彼に対し、今の私はあまりにも無力だ。
私はこう思っていますとかここがこうでこうだから気に入ってるんですとか、そういった〈人間が見える〉返しを淡く期待していた。
しかし実際は虚無が返ってきた。
私は明確な解答が提示されているものよりも、曖昧なものや意味の分からないものが好きだ。
そういうものには個人的解釈を許容する豊かさがある。
そしてその個人的解釈こそが、その人にとっての意味である。
例えば〈棒を2本だけ動かしてオッサンを救え!〉みたいなゲームアプリとかこの世に意味の分からんものはごまんとあるが、個人的解釈がある限り全ての事物に意味が宿る余地がある、と思っている。
猫ナポレオンとかいう意味の分からん代物なんて、個人的解釈の宝庫ではなかろうか。
神林長平であれば1冊書けそうなくらい意味分からん。
前提としてそもそも彼と私の間には未だ個人的解釈とやらを打ち明けるまでの関係性が成立していないという事実が横たわってはいるものの、しかしあのキレのある返答っぷりから察するにやはりあれは本心であったと思うのが妥当な線、という感想になってしまうのがまた虚しい。
意味の不在を所有する人から放たれる虚無オーラには得体の知れない恐ろしさがあり、そして哀しさがあった。
だが待ってほしい、全ての事物に意味が宿る余地があるのであれば、虚無にも何らかの意味が与えられる余地が含まれているのではないか。
〈意味がない〉ということに意味を与えることは、果たして可能だろうか?