2017-01-01から1年間の記事一覧

『囚われた男』

そしてDは背中に走る痛みで目を覚ました。 どうやらおれは眠っていたらしい。Dは背中に鈍痛を覚えながらそう思った。はたしてどのくらいのあいだ眠っていたのか、それは定かではなかったが、しかしDには眠ろうとした記憶がなかった。目を覚ましたことで自…

『バッグの中で』

おひとり様ですか、という店員の問いかけに、というよりはむしろ確認に、はい、と打てば響くように、しかしかろうじて聞き取ることができる声量で答えてしまったDだったから、やはりマニュアル通り、カウンター席に案内された。 カウンターならばどこでも良…

『ゼノンの女』

マグカップの中身はきっと冷めている。 街並みを一望できる窓際の席。そのいちばん右端に座ってノートのキーボードを叩いている女の後ろ姿を凝視しながらおれはそう思う。女は——正式な名称は知らないが——やたらと襞の多いゆったりとした黒い上着を着ていて、…

『異世界の猫』

まるで音もなく這い回るなめくじのような粘性の沈黙に耐えられなくなったおれは、気の利いた話題をこの役立たずの喉からひねり出そうとした。今日の天気だとか、最近の調子だとか、そういうありきたりなやつではなく、気の利いた話題をだ。しかし、無駄だっ…