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食べ飲み放題システム(時間制限あり)の落とし穴

「事は一刻を争う……もはや時間の問題だ」

いつだって時間が問題であり、時間が問題にならなかったことなどあるのか。いつだって時間が問題なのだ。3分ジャストで湯切りしたものと、2分半で湯切りしたものとでは、明らかにモノが違う。状況は秒単位で変化し続け、時間は物事を過去というバージョンにアップデートし続ける。どこまでも麺を伸ばし続ける。

 

「時間ならたっぷりある。考えておいて欲しい」

だからと言って時間の問題ではないとは言い切れず、時間があり過ぎるのもそれはそれで問題である。過剰に時間をかけすぎた解答とは往々にして盲目的な代物に仕上がるようになっており、今日の晩ご飯を考えすぎると結局カレーになってしまう。しかしルーならたっぷりある。一晩寝かせても美味しい。

 

「きっと…時間が解決してくれるよ」

それは解決ではなく希釈である。時間によって気持ちが薄められ、ある時点に至ってようやく折り合いをつけることが出来るようになるのだ。カルピスは原液のままだとパンチが効きすぎており、薄めて漸く飲むことが出来るようになる。原液でいく人はお大事に。

 

「時すでに遅し…」

『お寿司』ではなく『遅し…』なのがミソであり、要するにボケている場合ではないのである。ボケるのは二の次三の次になっているほどに手遅れな状況なのだ。つまり余裕はない。まったくもって途方に暮れている状況であり、しかし状況はこれ以上悪くはならないと高を括ってはいけない。時間が流れている以上、途方に暮れる行為それ自体がリスクなのだ。腐っても鯛とは言うものの、やはり寿司は鮮度が命である。

 

「時は満ちた」

この言は比喩である。時は決して満ちることはない。どこまでも果てがなく、貴方がこの文章を読んでいる『今』がその果てのない先頭にあたる。そしてそのような『今』についても果てがなく、果たしてどこを目指しているのか。それは一本の直線なのか、曲がりくねっているのか、はたまた球体の頂点をひたすらに数え続けるという馬鹿げた行為なのか。仮にそのような馬鹿げた行為だとして、きっとその球体は卵形かも知れない。そしていつか、何ものかが卵の頂点を数えるのを止め、卵の尻をテーブルに叩きつけて、卵を立たせてみたりすると素敵だと思う。時間という概念の新たな側面が見つかり、卵はロッキーが美味しく頂きました。

 

「此処で会ったが百年目」

百年である。悲願なのである。悲願以外の何ものでもないのである。白刃が鞘を走り、刃紋が月光に染まり、一閃妖しげに煌めく。八双に構え、爪先でにじり寄り、彼我の間合いが危険なまでに詰まる。互いの間を行き交う殺気は圧縮され濃度を増す。両者を分かつ皮膜じみた境界は、笹の葉の擦れる音でも破れてしまいそうなほど危うい。百年目という精神の重さが、頼りなげな皮膜にずしりとのしかかる。途端、ぷつ……。皮膜はついに破れ、中身が飛び散る。その刹那は百年であり、百年の永きも今となれば刹那だったように思えるのだから不思議だ。悲願を果たした今という時をゆっくりと味わう。じわりと苦味が広がり、皮肉だが今の気分にぴったりである。そういう味が必要な時が確かにあって、綺麗に取り出された栄螺の、その肝を拝むと、必ずと言って良いほどこの科白が飛び出すのだった。此処で会ったが……

 

「おととい来やがれ」

僕は、憤慨気味の彼にこう告げたのだった。
「僕は〈あさって〉から来たのです」
彼は首をやや斜め気味に傾け、眉間に皺を寄せ、しかめっ面をつくって僕を凝視した。つまりガンを垂れているのだ。
「だからさっきからなに言ってんだテメエ!」
喧嘩売ってんのか、と続ける彼は肩をいからせ、大げさなほどの大股とがに股で僕に詰め寄る。アアとかオオとか言いながら。しかしその言葉のほとんどはよく聞き取れなかった。
そこで、ひょっとすると彼はこの状況を理解していないのではないか?という疑問を抱いた僕だったので、彼に向かってこう告げたのだった。
「僕は〈おととい〉を目的時としたタイムリープを実行し、つまりあなたから見ると僕は〈あさって〉からやって来た人物だということになりますね。つまり僕は〈おととい〉に来てみたのです」
「ぁ……ォ……?」
沈黙。
理解してくれたということで良いのだろうか。なんとなく判断に迷うが、とりあえず話を進めてみる。
「〈あさって〉のあなたから『おととい来やがれ』と言われたもので、〈おととい〉のあなたをこうやって訪ねているのです」
「……」
沈黙。
話を進める。
「ああ、ごめんなさい。ここで言っている〈おととい〉というのは僕から見た〈おととい〉であって、今現在のあなたから見た〈おととい〉とはそもそもの話、時点が違っていてですねその」
「……」
「あなたの立場で見てみますと、僕は〈あさって〉のあなたから『おととい来やがれ』と言われたので、〈あさって〉のあなたの要望通りに〈おととい〉のあなた、つまり今現在のあなたに会いに来たということになりますね」
僕は自分でそう言っておきながら、待てよ、と思った。そもそもの話、僕が訪ねるべき彼は今現在僕の目の前で泣き出しそうな顔をしている彼などではなくて、今この時点から見た〈あさって〉の彼なのではないか?と。つまり彼の言いつけどおりに事を運ぶのならば、ぼくは最初に彼から『おととい来やがれ』と言われたあの時点からとりあえず2日過ごしてみて、その時点で〈おととい〉へタイムリープすべきだったのではないのか?ということだ。うん、そうだ。その方がしっくりくる。〈『おととい来やがれ』と言われた日〉がカレンダー上で〈おととい〉になる日に僕はタイムリープすべきだったのだ。そうに違いない。そうすれば彼の言った『おととい来やがれ』という言葉の意味が通る。今現在僕の目の前にいる半泣きの彼は人違い——というよりも時違いの彼なのだ。あの時の彼が言い放った『おととい来やがれ』というひと言。その真意に気づかないなんて、僕はどこまで馬鹿なのか。
「どうやら僕は勘違いをしていたようです。あなたと話をしてみてそれが解りました。ありがとうございます。僕はなんて馬鹿なんだ」
「お……おぅ」
彼はそう声を漏らすと、うつむきながら右手で後頭部を掻きはじめた。
「なんて言うかその……よく分かんねェけどよ、とりあえず大変そうだなお前」
「そう……でしょうか?」
そう言われてはじめて、そう言われるとそうなのかも知れない、と思った。これからの僕の予定と言えば、いったん元の時点に戻り直し、〈『おととい来やがれ』と言われた日〉が〈おととい〉になるのを待ってから、〈『おととい来やがれ』と言われた日〉へタイムリープする、というものだ。中一日を要する作業である。そう考えると大変ではあるなと思う。このまま〈『おととい来やがれ』と言われた日が〈おととい〉になる日〉へタイムリープするという手もないわけではないのだが、それではなんとなく据わりがわるい。〈手っ取り早さ〉は物事の本質を薄めてしまう。彼はそのような僕の事情を察し、そして気遣ってくれていたのだろうか。
「そうですね。あなたの言う通りかも知れません」
ここで僕は彼の思慮深さに感動し、そして同時にあまりにも考え無しだった自分の行動に改めて恥じ入ったのだった。背骨を中心に熱がこもり、顔が上気しているのが判る。気づくと自分のつま先を見つめていた。今度は僕がうつむく番だった。
「まあ、立ち話もなんだ。とりあえずそこに座れや」
彼が促す先には二人掛けのソファがあった。それは何ものにも触れられずに育った無垢な苔のような柔らかさを連想させた。きっと深緑色をしているからだろう。僕はそれに深々と腰を掛けてみて、しかし思ったほど柔らかくはないなと思った。
「……?」
彼の姿がない。いったいどこへ行ってしまったのだろう。反射的にあたりを見まわす。約十二畳ほどの部屋のどこにも彼はいなかった。そこで僕は唐突に、彼はタイムリープを行なったのではないか、という疑念にかられた。思わず中腰の姿勢を取る。特に意味はないのだけれども。
「とりあえずコーヒーでも飲んで落ち着……どうした?」
ふいに前方のドアが開いたと思ったらそこに彼がいて、手には白いトレー。その上には白いマグカップが二つだけある。どうやらコーヒーを淹れていたらしい。僕はそのトレーを一瞥してすぐに物足りなさを感じたが、しかしここは彼一流の気遣いに感謝するところだ。
「いえ、何でもありません」
そう言って僕はソファに腰掛けお茶を濁す。出されているのはコーヒーなのだが。
「インスタントだけどよ」
この味が良いんだ、と彼。僕は琥珀色の液体が満ちるマグカップを両手で受け取る。右手で把手を握り、ふうふうと吐息で珈琲を冷ましている途中でそれに気づいた。白一色だと思っていたマグカップの側面には「I♡北海道」とプリントされていた。複雑な心の動きで顔が再び上気してしまう。彼が握るマグカップの側面を半ば反射的に見た。「I♡秋田」とある。これは青森もあるな、と思った。
「コーヒーがお好きなのですか?」
僕はその名状しがたい感情をなるべく表に出さないよう努め——つまり平静を装いながら彼に尋ねた。
「ああ、特にインスタントがな。この簡単な味が俺に合ってるんだよ。馬鹿で単純だからな、俺」
そんなことはない。
「そんなことはないです。あなたはとても思慮深いお方だ。僕には判ります」
「いや……」
そんなことねェよ、と彼は消え入りそうな声でそう応える。
「いえ、そんなことあるのです。僕には判るのです」
自然と語気が荒くなる。ついむきになってしまった。
「お、おぅ……」
その後に続いた言葉は、しかしうまく聞き取れなかった。彼は両の手で包み込むようにして持っていたマグカップを一心に見つめ、薄く小さな唇だけをぱくぱくと小刻みに動かしていた。そうするとマグカップの中から適切な言葉が浮かび上がってくるのだ、と言わんばかりに、じいっと、マグカップを見つめていた。気づくと彼の耳は赤くなっていた。褒められ慣れていないのか、あるいは自信がないのか。もしくはその両方。ここで僕が彼を勇気づけなくて、いったい誰がそれを出来るだろう。ある種の使命感が僕を突き動かす。それは決して逃れることの出来ない激流であり、ほとんど流されるようにして僕はこう口走った。
「喩え砂糖とミルクがなかろうと、ソファが見かけ倒しの安物だろうと、マグカップが赤面もののダサさだろうと、あなたが思慮深い人であるという事実に変わりはないっ!」
「……」
「断じてっ!」
「……」
彼は顔を上げ——今ではマグカップではなく僕を見つめている——ぱくぱくと唇を動かしている。今や耳だけでなく顔まで真っ赤っかな彼だが、まだ適切な言葉を見つけていないらしい。
「あと、僕ブラック飲めないんで結構です」
「おととい来やがれ」
ついに見つけたというわけだ。

ところで僕はどうすれば良いのだろう?