『ゼノンの女』

 マグカップの中身はきっと冷めている。
 街並みを一望できる窓際の席。そのいちばん右端に座ってノートのキーボードを叩いている女の後ろ姿を凝視しながらおれはそう思う。女は——正式な名称は知らないが——やたらと襞の多いゆったりとした黒い上着を着ていて、黒のスリムパンツに黒のヒールを履いている。そのヒールの底だけが赤い。本当に、まるで嘘のように赤い。
 女はキーボードを叩いている。カタカタカタ、カタカタカタ。その動作は絶え間なく、女の席の左端で存在感をなくしているマグカップの中身はきっと冷めているのだろうとおれは思う。中身はおれのものと同じでコーヒーだろう。おれはすでに底が透けて見えているマグカップを左手に持ち、そしてそれを口まで運んで用心深く傾ける。とうに冷めてしまったコーヒーがおれの特に乾いてもいない唇を苦く湿らせる。陶器製のマグカップは、まるで鋭い犬歯のように白く光っている。底に溜まる液体は掴めそうなほどに黒い。
 おれはマグカップを目の前の、まるで流木を平らに均したような木製のテーブルの上に置き、本の続きを読み始める。おれの頭はすでに黒衣の女と窓外に広がる街並みとを等価なものとして処理している。西陽を、マグカップがにべもなく跳ね返している。ページの余白が網膜に焼きついて離れようとしない。黒い文字。太陽黒点
 あらすじはこうだ。
 完全犯罪を目論んでいるひとりの男がいる。そして男には資産家の祖父がいる。いや、いた。男は物語の冒頭で祖父を殺害するのだ。事故に見せかけて。しかしとある女に犯行の決定的な証拠をつかまれてしまう。男は女を始末しよう目論むのだが……よくある話だ。そしておれはよくある話が好きだ。
 おれは読書に集中する。
 この小説の語り手は男だ。祖父殺しの男。つまり一人称視点で進行する物語だが、この男が信用できる語り手だとは限らない。金欲しさに祖父を殺すほどの男だ。安易に信用してはいけないだろう。これはおれの持論だが、一人称で進行する物語は決して最後まで信用してはいけない。しかし祖父を殺したところで孫である男にいくら転がりこむのか、たかが知れているとおれは思うのだが、しかし男は自分の父親を殺す予定なのかも知れないとおれは予想する。例えば祖父と同様、事故に見せかけて。そうすれば遺産は男のものになる可能性が高まる。だが男はその前に女を殺さなければならない。殺人を隠蔽するための殺人を犯さなければならない。事実、男はそうしようとしている。つまり男は、ほとんど入れ子構造の屍を積み重ねなければならないということだ。毒を食らわば皿まで。皿を食ったあとは箸も食わなくてはならない。その次は自分の手を……。
 おれはページをめくる。
〈いたおれだが、別に気分が悪かったわけじゃない。〉と続いていて、文がページをまたいでいる。読みながら、また黒衣の女の姿が目に入る。おれはそのような位置の席に座っている。そのような位置とは、つまり黒衣の女が視界に——あるいはおれの意識に——収まる位置ということだ。鼻をすする音が背後から聴こえてくる。他の客は視界の外にいるようだ、とおれは思う。気が乱される。なぜかは知らない。落ち着かない。おれは落ち着かないままに文字を追う。また文がページをまたいだ。女はキーボードを叩く。残りわずかのコーヒー。鼻をすする音。またページをめくる——。
 おれは再びマグカップに手を伸ばす。
 今おれがいるここは書店だがカフェでもある。本を買うついでにコーヒーが飲める。あるいはコーヒーを飲むついでに本が買える。もっと言うなら本を買うだけでもいいし、もちろんコーヒーを飲むだけでも構わない。そういう空間で、店だ。商売っ気がなく、おれはそこが気に入っている。静かなところもいい。本好きは本好きに対して常に紳士的に振る舞うものだ。そしてこの店には本好きしかいない。なのでおれは休日はここで本を読むことにしている。
 店はそれが購入済みの本であれば飲食をしながら読んでもよいという方針を採っている。そして飲食をしない場合は席に座れない。もちろん本は持ち込み可だ。しかし飲み物や食べ物は認められない。それらはレジで注文する必要がある。店内で読書をしたいのなら最低一品は注文してくださいというシステムである。おれの場合はコーヒー一杯がその座席料にあたる。四八六円。
 読書中における会話と騒音の違いについて。
 以前、おれはよく喫茶店巡りをしていた。本を読むための静かで落ち着いた空間を探していた。そこでおれの頭は喫茶店という単語を安直にはじき出したというわけだ。喫茶店は喫茶店でもカフェではなく、いわゆる純喫茶と呼ばれる類いの店を好んで巡っていた。おれはどこにどういう純喫茶があるかを調べて回っていた。そのころの名残か、今でも通りを歩いていて見覚えのない喫茶店を見つけてしまうと思わず立ち寄ってしまう。しかし以前ほどの熱意は、今はもうない。腰を据えて本を読む場所ではないと感じたからだ。純喫茶はああ見えてうるさい。結論を言うと会話が会話として明晰なのだ。例えば流行りのカフェなどは客入りも頻繁で賑わっている場合が多い。そういう人の多い場所は自然と会話の総量が多くなる。すると会話が会話に重なり、それらはやがて騒音と化す。その膨大な言語情報の中から特定の会話をリアルタイムで抽出しようとする場合は、その特定の会話に特別に意識を向ける必要がある。そうしない限り会話群——たった今思いついた呼称だ——は個人にとって騒音でしかなく意味をなさない。しかし純喫茶と呼ばれる店は、大抵は小規模なものであり、満席になったとしてもやはり人混みにはほど遠い場合がほとんどだ。そういう小規模な空間では会話は騒音にはなりきれない。そしてたちの悪いことに、その会話の一部がふいに耳に——意識に——飛び込んでくるのだ、聞こうともしていないのに。そしてそのいまいましい会話が頭の中をまるですばしっこいねずみのようにちょろちょろと駆け回る。そうなってしまうともう駄目で、おれは本に集中できなくなってしまう。耳障りなねずみは頭の中の椅子に居座ってしまう。そういうとき、おれは耳にまぶたがあればいいのにと思う。だからおれは本当に静かなところか、もしくは非道く騒々しいところで本を読むようにしている。端的に言えば会話を会話として意識しないで済む場所だ。そしてここはおれの知っている数少ない本当に静かな場所だ。客の大抵は本を読んでいる。店員は奥でコーヒーを淹れている。つまり耳障りなねずみは滅多に現れない。しかし今日は様子が違うようだ。ねずみがいる。黒いねずみ。
 気づくと、おれはマグカップを手にしたままであった。中身は減っていない。おれは口をつけずにそれをテーブルに置く。そしてスマートフォンで時刻を確認する。十五時四分。
 おれは開いているページのノンブルを確認する。右下に〈一四七〉。左下に〈一四八〉。約一時間で百ページと少し。おれはシャツの胸ポケットから木彫りの象がついたしおり——友達からもらったタイ土産だ——を取り出し、それを本の間に挟む。すると象が本の天井から顔を覗かせる。おれはその象をつい撫でたくなる。だからおれは象を撫でる。右の親指の腹で、慈しむように。いつもの感触。その繰り返しの結果として象は飴色の光沢を放っている。おれはその象を触るとなぜか安心する。お守りみたいなものなのかも知れない。残りわずかとなったコーヒーをひと息に呷り、おれは本をバックパックの中にしまう。祖父殺しの時は止まる。おれが、止める。
 席を立ち、なんとはなしに店内を見渡す。一、二、三……五人。客はおれも含めて五人だ。トイレに何人か——何人かだと? ——いるかも知れないから断言はできないが、少なくとも今はそうだ。もっとも、数十秒後にはそれが四人になる。そういう計算で、予定だ。おれが店を出るからだ。だが、最後にあの女の顔でも拝んでおこうとおれは思う。病をばら撒き、秩序を乱す、ねずみの顔を。おれはバックパックを背負う。
 なぜだろう、女が異様に遠くに感じる。窓際までの距離はせいぜい五六歩くらいなのだが、なぜだかそれ以上の隔たりがあるように思える。それは物質的な隔たりなどではなく、なんというかこう、数値化不可能な隔たりとでもいうような、つまりおれと窓際の女の間にはそういう類いの形而上的な隔たりがあっておれの意識は束の間それを捉えたのかも知れないという感覚がする。歩いても歩いてもたどり着くことの叶わない蜃気楼。逃げ水の女。夢の中のねずみ。そこにいる女は本当にそこにいるのだろうか? 女の髪はしかしこんなにも黒いのだが。おれは気づくと手を伸ばしている。女の首は逆光にもかかわらず透けるほどに白く見える。
 女の肩口からノートのディスプレイが見える。おれはもうほとんど女の背後についているのだと気づく。知らぬ間にあの名状しがたい隔たりが詰まっていてもはやキーボードさえ見える。そして女の指も。爪が赤い。いや赤く塗られている。ぬらりとした作りものの赤。本当にまるで嘘のように。
 視線が自然と上がる。なぜか上がってしまう。青く発光するディスプレイ——誘蛾灯のイメージ。やがておれの網膜は焼かれる——蛾は死ぬ。おれはそうと知っていてそれでも眼は上昇をやめない。やめられない。
 文字。文字が見える。文字の羅列。
〈ヒール〉〈流木〉〈太陽黒点〉いくつかの単語が眼に飛び込んでくる。〈殺人〉〈コーヒー〉〈喫茶店〉。
 まるであの喫茶店の会話のように文字が飛び込んでくる。おれはその文字列から眼をそらすことができない。まぶたのない耳に飛び込むんでくるみたく文字がおれの眼をつかんで離さない。眼にはまぶたがある。〈しかし〉
〈女は文章を入力している。おれはそれを見ている。〉
〈女は文章を入力している。おれはそれを見ている。〉
〈女は文章を入力している。おれはそれを見ている。〉
 女はその多頭竜じみた赤い十指をキーボードの上でのたくらせる。皮膚呼吸のような生理現象的当然性をいかんなく発揮しているそれら十指は個別にキーを押し続け同じ文章——〈女は文章を入力している。おれはそれを見ている。〉——を三度繰り返してみせる。今の一文を含めると四度。これは一人称で進行する物語だ、とおれは思う。信用してはいけない物語。おれは何となく奈落を覗き込んだような気分になる。高重力の井戸。覗く者すべてを飲み込むうわばみ。いつからとおれは思う。いつからおれは虚構としてのおれだったのか。いつからおれは登場人物だったのか。おそらく無限に続いているであろう余白に虚な黒点が敷きつめられていく様子を今のおれは目の当たりにしている。ふとおれはおれをとりまく現実やおれ自身の実在を疑う。信じがたい世界の在り方に感電する。〈誘蛾灯〉。〈蛾は死ぬ〉。そんなことよりもおれは女の首に爪を立てたい。なぜか立てたくてたまらない。その白い陶器のような首に。爪を。犬歯のように。根元まで。深く。食い込ませたい。食い込ませたくてたまらない。なぜならおれは確かめたい。あんなもに爪が赤いのだから。だから女の血はきっと真っ赤に違いない。そうでなくてはならない。そうでなくてはそうでなくてはおれの爪も爪と爪を爪へ爪に爪は——
 気づくと爪がコーヒーに浸っている。
 やはり冷めている。