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立ち上がった瞬間に今からやろうとしていたことを忘れるという理不尽

「人は自分で檻を作り、その中で暮らす動物だ」

完璧な引用ではないが、このような一文を何かで見たか聞いたかした覚えがある。作品名はまったくもって思い出せず、それが小説だったか、漫画だったか、映画だったか、なんだったか。その記憶が脳のシワのいったいどの部分に迷い込んだのかは知らないが、そいつの尻尾をなかなかつかむことができず、いっこうに思い出せない。人は、思い出したくない記憶を閉じ込めるために自分の脳にシワを数多く刻み込んだのかも知れない。と、ふとそう思う。仮にそうだとして、結果的に私のように思い出したいことも思い出せなくなってしまったのだとしたら、それはそれで本末転倒もいいところであり、しかしそれはそれで非常に人らしいとも思う。健康を気にしすぎてノイローゼ気味になるのが、いたって健康的な人間像である。

檻であった。檻に話を戻す。
人が作る檻については、私は体験的にその脅威を知っている。とりあえず引越し作業などをやってみると判りやすい。貴方の場合、なにが檻に相当するものなのかは知らないが、私の場合、本が檻となる。
私にとっての本とは、即ち習慣である。そしてそれは檻だ。
習慣という檻。習性ではない。今から約五年くらい前にこさえた檻だ。五年経った今でもまだ習慣として——つまり檻として立派に機能しているという事実から、どうやらS◯◯◯製ではないらしい、と言える。しかし劣化するどころかむしろ強化されつつあったりするので、この檻は私の知らない新手の合金で作られているのかも知れない。自己成長型の合金で作られた檻。まるで年輪のごとく鉄格子は太り、時を経るごとに脱出は困難を極める。檻から出なければ引越し作業はできず、檻は部屋のあちこちに仕掛けられている罠である。仕掛けられている、と半ば成り行きで記述してしまったが、すべては私の仕業である。人のせいにするのは良くないと思います。

檻とは習慣であり、つまり私の場合は本である。
本が習慣で習慣が檻である以上、きっとそこには鍵が存在するはずだ。鍵のない檻など聞いたことがない。まあ世界は広いから、鍵なしの檻がひとつやふたつくらいは存在するかも知れず、しかし私は寡聞にしてそのような檻を知らない。入口があれば出口があるように、それが何かを閉じ込める機能を持つものならば、やはり鍵がなくてはならないだろうと思う。あるいは鍵のような何かが。それさえあれば今すぐにでも引越し作業に取り掛かることができるのだが、さて、鍵はどこにあるのか。

私たちは鍵を超重要なものと認識している。超である。しかし鍵という存在はしばしばその姿をくらますことで有名だ。一切の予告なく、唐突に、私たちの油断を突き、超姿をくらます。確かここらへんに置いたはずだが……。少しでも自信のない素振りや己の記憶を疑ったりしてみようものなら、その時点で鍵はそこにはない。第二候補というより第二希望の場所にもない。もちろんそこから第三第四とまったく順当に思える希望の繰り下がりが続き、やはり順当に希望はついえる。原因はおそらく初っ端に見せた弱気である可能性が超高い。その一寸の隙に、鍵はつけこむ。いったんつけこまれてしまうと、そこからグリッと時計回りに九十度の傾きでもって開錠されてしまう。千丈の堤も蟻の一穴から。鍵が鍵である以上、何人たりとも鍵をひとところに縛りつけることはできない。なぜなら檻すら開けてしまうようなやつだ。あのちっぽけなやつはこう言ってたぜ、旦那。玄関に置いてある小物入れの中にこのおれがずっといると思うなよ。おれは鍵なんだ見くびるな、ってな。傘が言う。
生意気なやつめ。

玄関の鍵でさえそうなのだから、それが檻の鍵となるともう始末に負えない。きっとすぐどっかいく。檻は閉じ込める専門だから、何かを閉じ込めてしまったら、そこから当分の間は檻の鍵の出番はない。結果、旅に出る。何かこう、鍵に対し服従を強制することのできる装置が必要だ。それも目に見えて判るかたちのものが良い。そんなかたちのものがあれば良い。
たとえば看守の腰には警棒と拳銃がぶら下がっている。つまりはそういうことだ。彼らは傍若無人にすぎる鍵を従わせるために、目に見えるかたちで武装を施している。檻の内部にいるものに対してではなく、あくまで鍵に対してだ。兵器は抑止力なのである。それは鍵の世界でもそうだ。看守が持つあの鍵束を見ればその抑止力の効果がどれだけのものか、もはや言うまでもない。

私たちがその平々凡々な日常において、すぐさまこさえることのできる兵器と言えばゴム鉄砲くらいなものだが、それでもないよりはマシと思うのか、あっても無駄だと思うのか、その判断は各人の価値観に任せるとして、話がいつの間にか檻から鍵へと移ってしまっていることにはお気づきだろうか。

檻の話を閉じ込めておく檻というものがあるのかは知らないが、本あたりにやらせてみるってのはどうかな?
檻の話もきっと引越しできなくなるだろう。

 

何の作品だったか、思い出せない。