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御客様各位

『9』

『10』よりも『1』だけ少なく、『1』から順に数え9番目に位置する自然数
素因数分解で『3の二乗』。
『7』に『2』を足す。『61』から『52』を引く。そうすると『9』が現れる。


私が『はてブ』を開始して早4か月余。
アクセス数0件などは当たり前で、たま〜に1件ほど入っていると、
と私は呟き、知らぬ間にProject2501と融合する。



これは私が私自身に必要だと思い、つくり始めた彼岸である。

そんな独りよがりな彼岸を、
「さて、歩いてみようか」
と思ったりする御仁は、私が思うにとても酔狂な御仁であり、非常に有難いと思う反面、どことなく申し訳ない気持ちが芽生えてしまうこともまた事実。



『9』件。
『9』件である。
これはアクセス数の話であり、それもたったの一日で。

「9名様ご来店です!」

この報は戦慄を帯びている。キッチンにピンと糸が張る。手で触れそうなほど。
その数字は文字通り、桁違いの一歩手前。
その数字に私は生唾を飲み下す。
まるで、そうすれば落ち着くはずだ、と自らに言い聞かすように。
しかし駆け付け一杯カルアミルク属性が複数名いないことを祈ることしか私には出来ない。
あまりにも無力だ……。



この雑多にすぎる彼岸へ到る道程としては、やはり読メであろうか。
私のプロフィール欄に当彼岸のURLは載せているものの、それは「まあ一応ね」というノリとしての記載であり、申し訳程度の追記でしかない。
せっかくプロフィール欄があるのだから、何か書いておこう。でも何を書く?何かしらのURLを載せていたらそれっぽくなるかな?そうだね、何もないよりは良いよね。という気まぐれ。
カンチガイ的オシャレ番長が頭に乗せている〈楊枝入れサイズのハット〉のようなワンポイントに過ぎず、頭が空いているのだから、何か乗せないと。
およそそのような脅迫観念と等しく、つまり意味はない。



『9』を書く。
丸の部分を大きくとってしまうのは私の癖であり、そのぽっちゃりとした『9』は丸の部分が大きすぎるため、ときに『0』っぽくも見えてしまう。急ぎ足の筆運びだと約93%で一致。同一人物と見なして良い。
こちらから見て丸の右にあり、上下に伸びる直線——私のはいささか短すぎる——が定食の味噌汁よろしくちょこなんとあるおかげで、その『9』は『0』になるのを辛うじて免れているという塩梅だ。
定食であるからには味噌汁がなくては始まらぬものだし、やはりあの直線がなければ『9』が始まらない。しかし私が『090』と書いてみて、「最近の携帯は『000』から始まるものもあるのか」、と要らぬ臆測を呼びかねないのもまた事実だが、人の思い込みというやつは思いの外とても頑丈に出来ており、仮に『000』と殴り書いてみて、「これはきっと『090』と書きたかったに違いない」、きっとそのように脳内で自動修正されてしまうはずである、と勝手に臆測を立ててみる。
臆測ですよ。



『10』へ行くには『9』は避けて通れず、『9』にたどり着いてしまったからには『10』を目指したくなる。人情としてそうある。
『10』に行き着いたとして、『11』を視野に捉え、あわよくば『12』。『13』は何やら不吉な気がするので早々に去りたいところであるが、往々にしてそこで足止めを食らうことになる。つまりそれが『13』足る所以である。人生としてそうある。そして何かしらのはずみで『14』へ抜けることになる。そこからは割と滑らかに進むはずであり、『99』あたりで一度立ち止まってから深呼吸をする。それは『100』という実感を噛みしめるために必要な儀式で、次は『999』。
では、なぜ狐は『9』の尾で打ち止めとしたのか?
答えはおそらく『キリがないから』。



野球はなぜ9回までなのか?
なぜ1チーム9人なのか?
なぜ三振を3回、つまり9回の空振りで攻守交代するのか?
どうやら『3』という数字がその謎を解く鍵であるらしいが、生憎と私は野球が苦手であり、というか球技全般から絶縁状を叩きつけられている人間なのである。
しかし、なぜかフォームだけは褒められる。褒められるたび、ただひたすらに口惜しい。

「フォームは良いよね。フォームは」

この繰り返しには明らかに他意が含まれており、そしてそれが事実であるが故に、ただひたすらに口惜しい。
ボールと意思疎通を図れず、友達関係とは一方通行では成り立たぬようだ。
不思議と恋心は成り立つ。





そんなこんなをつらつらと書き記しているときでも、また新たな観光客がこの彼岸を訪れては去ってゆく。
ほとんどが同一人物によるアクセスかも知れないが、それはそれで十分に有難く、十二分にこっぱずかしい。

九分九厘くらいで申し訳ない。

残りの一厘が何なのかは分からず、それは彼岸の向こう側、即ち此岸に在るのだろう。
その一厘に到るための九分九厘が堆く積もる処。
それこそが当彼岸に御座います。


何卒、良しなに。