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内的宇宙はドーナッツ型であるか。

『フライドピザ』という食べ物の存在を知ったとき——これはきっとアメリカ人の仕業に違いない、と即座にピンと来るものがあった。実際にそうだった。期待通りの展開でガッカリすることは珍しい。

バター、アイスクリーム、ビール、ジュースの粉……その他諸々。その都度都度。
ヤツらはなんでも揚げてきた。見境なく揚げてきた。所構わず揚げてきた。
ヤツらにとって〝食べ物を揚げる〟という行為は挨拶と同義だ。やあ調子はどうだいジョン。ジューパチパチ。そしてフライドチキンを手渡す。これもコミュニケーションの在り方のひとつ。そんな国があっても良いとは思う。住みたくないけど。

全米から揚げ物油が一斉に消えたとして、アメリカ人はおそらく3日で全滅する。きっとそうに違いない。死因は餓死というよりは未来に絶望しての〈command+option+esc〉。隣人が終了し、その隣の隣人も終了して、『そして誰もいなくなった』。ドミノ倒し。またはウェルテル効果と呼ばれるその現象はカナダ領にさえ及ぶかも知れず、しかしメキシコ人はテキーラさえあれば良いということで、きっと知らん顔を決めこむ、と私はにらんでいる。北と南では頭の作りが違ってくる。揚げ物油の一斉消滅はそれを知るものさしでもある。

アメリカ人最後の生き残りはウィル・スミスである可能性が高い、という予想はもはや予想の範疇を軽々と超えており自明の理である。最近ではマット・デイモンであるとの説も有力だが、しかしウィル・スミスには遠く及ばず、それはあくまで〝説〟なのであって、つまるところ〝説〟の域を出ていない。なぜならば、ウィル・スミスは〝説〟ではなく、〝結論〟に達しているからだ。ちなみに以前の〝結論〟はチャック・ノリスだった。そして専門家たちは主にスミス派とノリス派の派閥に分かれ、今なお激しい議論を繰り広げている。鼻差でスミス派がリード。ノリスまくれ!

カロリー×カロリー×カロリー=破壊力。
そのカロリーは13歳の少年がゲーセンの壁にめり込むほどの破壊力を有する。もしくは空手界の最終兵器が悶絶し思わず回避行動をとる。そんな類いのエグいやつ。「まだやるかい」。そう問われたとして、一東洋人の私としては遠慮願いたい。SUSHIを揚げたやつなんてほんのジャブ程度さHAHAHA。この世には〝笑えるジョーク〟と〝笑えないジョーク〟とがあって、後者はつまり揚げカスのようなものだ。うんざりするほどモタれて、なんにもならない。しかしアメリカ人はそれすら食べる。〝笑えないジョーク〟を体現している。しかも好き好んで。

カリカリとした歯ごたえさえあれば良い、とする一派がある。中身がトロッとジュワッとしていればなお良し。この見解に即した場合、味の評価は〝三の次〟くらいの位置に身を置くことになる。ちなみに、カリカリは口内を傷める恐れがあり、故にサクサク程度がちょうど良い、とする一派もあったりする。この両者のさじ加減を明確に区分することは実際のところ困難だよね、とこれは世間一般的な見解である。カリカリもサクサクも、その微妙な食感の差異はあくまでも個人の主観に依るところが多すぎ、カリカリ論者とサクサク論者とを分ける境界は曖昧に混ざり合っているというのが現状である。しかしカリカリ論者はサクサク論者を、サクサク論者はカリカリ論者を互いに軽蔑し合っていたりするのだから、この両者はカリカリとサクサクに関して一応のところ、明確な区分なり一家言なりがあるようだとの予想が成り立つ。揚げ物をウリにしている店でこの両者が鉢合わせしようものなら、きっと我々の想像をはるかに超えるどうでも良い舌戦が繰り広げられるはずだろう。折悪しく少数精鋭のパリパリ派がカウンター席に陣取っていた場合、それは三国志の様相を呈することになる。ケンタッキーで戦乱の世が幕をあける。
(補足:時間が経ち歯ごたえが失われたものこそ至高である、と考えるしっとり派は異端とされている)

とりあえず揚げる。ではなく。気づいたら揚げていた。そう。それはまるで呼吸。〝考え〟すら及ばない領域。思考の埒外。アメ公としての機能。本能に基づくところ。最終到達点はおそらく『フライド自分』。絶対になし得ないことへの圧倒的な羨望がそこにはあり、それもまた〝究極の愛〟のひとつなのかも知れない。一般には『同一化』と呼ばれる。嗚呼、カリカリになりたい。いやそこはサクサクだろ。なんだとパリパリにしてやろうか。ああ?ヤンのかこのやろう。くぁwせdrftgyふじこlp

アメリカ人はきっと頭のネジを2、3個フライヤーの中に落としちまったのさ。そしてそいつを食っちまったんだ。DoNutsてんだよまったく。

ウィル・スミスとチャック・ノリスが同じ派閥であることを切に願う。