燃えない豚は、ただの豚じゃないと思う。
煙が風にのって流れてくる。ここは風下にあるらしい。私はとある駐車場にいた。どこにでもある、ありふれた駐車場。
直径数百メートルに及ぶ黒色火薬の造花が夏の夜空を彩る。不思議なもので、その炸裂の一時だけはうだるような夏の暑さを忘れる。なぜ夏には花火と決まっているのだろう、そう思っていたが、なるほど、そういうことなのかも知れない。
どん。
遥か頭上を過ぎ行く夜雲が朱に染まる。空と雲の境界が閃光によって暴かれる。放射状に展がる色とりどりの無数の火球が、建物の合間を縫ってようやく視界へ入りこむ。たとえそれが花弁程度の切れ端だろうと、思わず暑さを忘れるほどに美しいと感じた。同時にわたしが住むこの街の建物は高いと思った。ここは、花火をやるには些か狭すぎる。
街灯の明かりが白く薄ぼんやりとしたものになり、まるでミルクの膜に包まれたかのように光っている。おそらく光が煙の微粒子に乱反射しているのだろう。炸裂光と炸裂音の間隔はおよそ二秒。七百メートルの隔たり。〈花火を観ている〉という実感は、〈煙〉という残滓からも得ることが出来る。まあそれが六千発分の残滓ともなれば、たとえそれに風情を感じようとも鬱陶しさはぬぐいきれない。気づくと火薬の香りがしていた。
どん。
片手に缶ビール。ちびりと飲む。喉ごしがぬるくなってきたが、大輪の花束の下だ。贅沢は言えないと思った。気まぐれにSNSを見ると、エアコンによって暑さを奪われた屋内で花火を見ている優雅な方々がおられる。きっとテーブルの上には酒がある。まったく優雅なものだが、きっとそこに雅はないのではないか、とひとり思う。残り少ないビールを一気に呷る。古びた建物の屋上に切り取られた花火が見えた。
どん。
窓に切り取られる花火。建物に切り取られる花火。
都会の花火は常に何かによって切り取られている。
切り取られることによって美しさを増す花火は存在するのだろうか?窓が、建物が、それら障害物があってはじめて存在が成立する花火。「人が想像することは実現され得る」と誰かが言っていた。であるならばあるいは、と思ってしまう。例えばゴジラ型の花火とか。咆哮の効果音付きで。出来る出来ないはさて置いて、私は想像の羽を伸ばす。ほろ酔いというよりはむしろ千鳥足の羽を。
どん。
しかしそこにゴジラの姿はなく、あるのは空、建物、花火、エトセトラエトセトラ。多くのものが溢れかえる中で、真に望むものは現れず、そして容易に探し出せない。それはそういうふうに出来ており、かくれんぼの名手なのかも知れない、とも思う。ただ単に探し方が悪いという見方も出来るが。そのような見方が出来る出来ないはさて置いて、私はゴジラの到来を待つことに専念する。刹那に花開くゴジラを。夜空を暴く閃光としてのゴジラを。
どん。
初代玉屋は鍵屋の元番頭で、鍵屋から暖簾分けされた身分なのだという。分家でありながら本家を凌ぐその実力とは、はたしてどのようなものだったのだろうか?夜空にゴジラを咲かせることは?モスラは?
どん、どん、どん。
どうやら終わりが近いらしい。
私は駐車場から立ち去る。
ただ空っぽの缶ビールだけを持って。
食べ飲み放題システム(時間制限あり)の落とし穴
「事は一刻を争う……もはや時間の問題だ」
いつだって時間が問題であり、時間が問題にならなかったことなどあるのか。いつだって時間が問題なのだ。3分ジャストで湯切りしたものと、2分半で湯切りしたものとでは、明らかにモノが違う。状況は秒単位で変化し続け、時間は物事を過去というバージョンにアップデートし続ける。どこまでも麺を伸ばし続ける。
「時間ならたっぷりある。考えておいて欲しい」
だからと言って時間の問題ではないとは言い切れず、時間があり過ぎるのもそれはそれで問題である。過剰に時間をかけすぎた解答とは往々にして盲目的な代物に仕上がるようになっており、今日の晩ご飯を考えすぎると結局カレーになってしまう。しかしルーならたっぷりある。一晩寝かせても美味しい。
「きっと…時間が解決してくれるよ」
それは解決ではなく希釈である。時間によって気持ちが薄められ、ある時点に至ってようやく折り合いをつけることが出来るようになるのだ。カルピスは原液のままだとパンチが効きすぎており、薄めて漸く飲むことが出来るようになる。原液でいく人はお大事に。
「時すでに遅し…」
『お寿司』ではなく『遅し…』なのがミソであり、要するにボケている場合ではないのである。ボケるのは二の次三の次になっているほどに手遅れな状況なのだ。つまり余裕はない。まったくもって途方に暮れている状況であり、しかし状況はこれ以上悪くはならないと高を括ってはいけない。時間が流れている以上、途方に暮れる行為それ自体がリスクなのだ。腐っても鯛とは言うものの、やはり寿司は鮮度が命である。
「時は満ちた」
この言は比喩である。時は決して満ちることはない。どこまでも果てがなく、貴方がこの文章を読んでいる『今』がその果てのない先頭にあたる。そしてそのような『今』についても果てがなく、果たしてどこを目指しているのか。それは一本の直線なのか、曲がりくねっているのか、はたまた球体の頂点をひたすらに数え続けるという馬鹿げた行為なのか。仮にそのような馬鹿げた行為だとして、きっとその球体は卵形かも知れない。そしていつか、何ものかが卵の頂点を数えるのを止め、卵の尻をテーブルに叩きつけて、卵を立たせてみたりすると素敵だと思う。時間という概念の新たな側面が見つかり、卵はロッキーが美味しく頂きました。
「此処で会ったが百年目」
百年である。悲願なのである。悲願以外の何ものでもないのである。白刃が鞘を走り、刃紋が月光に染まり、一閃妖しげに煌めく。八双に構え、爪先でにじり寄り、彼我の間合いが危険なまでに詰まる。互いの間を行き交う殺気は圧縮され濃度を増す。両者を分かつ皮膜じみた境界は、笹の葉の擦れる音でも破れてしまいそうなほど危うい。百年目という精神の重さが、頼りなげな皮膜にずしりとのしかかる。途端、ぷつ……。皮膜はついに破れ、中身が飛び散る。その刹那は百年であり、百年の永きも今となれば刹那だったように思えるのだから不思議だ。悲願を果たした今という時をゆっくりと味わう。じわりと苦味が広がり、皮肉だが今の気分にぴったりである。そういう味が必要な時が確かにあって、綺麗に取り出された栄螺の、その肝を拝むと、必ずと言って良いほどこの科白が飛び出すのだった。此処で会ったが……
「おととい来やがれ」
僕は、憤慨気味の彼にこう告げたのだった。
「僕は〈あさって〉から来たのです」
彼は首をやや斜め気味に傾け、眉間に皺を寄せ、しかめっ面をつくって僕を凝視した。つまりガンを垂れているのだ。
「だからさっきからなに言ってんだテメエ!」
喧嘩売ってんのか、と続ける彼は肩をいからせ、大げさなほどの大股とがに股で僕に詰め寄る。アアとかオオとか言いながら。しかしその言葉のほとんどはよく聞き取れなかった。
そこで、ひょっとすると彼はこの状況を理解していないのではないか?という疑問を抱いた僕だったので、彼に向かってこう告げたのだった。
「僕は〈おととい〉を目的時としたタイムリープを実行し、つまりあなたから見ると僕は〈あさって〉からやって来た人物だということになりますね。つまり僕は〈おととい〉に来てみたのです」
「ぁ……ォ……?」
沈黙。
理解してくれたということで良いのだろうか。なんとなく判断に迷うが、とりあえず話を進めてみる。
「〈あさって〉のあなたから『おととい来やがれ』と言われたもので、〈おととい〉のあなたをこうやって訪ねているのです」
「……」
沈黙。
話を進める。
「ああ、ごめんなさい。ここで言っている〈おととい〉というのは僕から見た〈おととい〉であって、今現在のあなたから見た〈おととい〉とはそもそもの話、時点が違っていてですねその」
「……」
「あなたの立場で見てみますと、僕は〈あさって〉のあなたから『おととい来やがれ』と言われたので、〈あさって〉のあなたの要望通りに〈おととい〉のあなた、つまり今現在のあなたに会いに来たということになりますね」
僕は自分でそう言っておきながら、待てよ、と思った。そもそもの話、僕が訪ねるべき彼は今現在僕の目の前で泣き出しそうな顔をしている彼などではなくて、今この時点から見た〈あさって〉の彼なのではないか?と。つまり彼の言いつけどおりに事を運ぶのならば、ぼくは最初に彼から『おととい来やがれ』と言われたあの時点からとりあえず2日過ごしてみて、その時点で〈おととい〉へタイムリープすべきだったのではないのか?ということだ。うん、そうだ。その方がしっくりくる。〈『おととい来やがれ』と言われた日〉がカレンダー上で〈おととい〉になる日に僕はタイムリープすべきだったのだ。そうに違いない。そうすれば彼の言った『おととい来やがれ』という言葉の意味が通る。今現在僕の目の前にいる半泣きの彼は人違い——というよりも時違いの彼なのだ。あの時の彼が言い放った『おととい来やがれ』というひと言。その真意に気づかないなんて、僕はどこまで馬鹿なのか。
「どうやら僕は勘違いをしていたようです。あなたと話をしてみてそれが解りました。ありがとうございます。僕はなんて馬鹿なんだ」
「お……おぅ」
彼はそう声を漏らすと、うつむきながら右手で後頭部を掻きはじめた。
「なんて言うかその……よく分かんねェけどよ、とりあえず大変そうだなお前」
「そう……でしょうか?」
そう言われてはじめて、そう言われるとそうなのかも知れない、と思った。これからの僕の予定と言えば、いったん元の時点に戻り直し、〈『おととい来やがれ』と言われた日〉が〈おととい〉になるのを待ってから、〈『おととい来やがれ』と言われた日〉へタイムリープする、というものだ。中一日を要する作業である。そう考えると大変ではあるなと思う。このまま〈『おととい来やがれ』と言われた日が〈おととい〉になる日〉へタイムリープするという手もないわけではないのだが、それではなんとなく据わりがわるい。〈手っ取り早さ〉は物事の本質を薄めてしまう。彼はそのような僕の事情を察し、そして気遣ってくれていたのだろうか。
「そうですね。あなたの言う通りかも知れません」
ここで僕は彼の思慮深さに感動し、そして同時にあまりにも考え無しだった自分の行動に改めて恥じ入ったのだった。背骨を中心に熱がこもり、顔が上気しているのが判る。気づくと自分のつま先を見つめていた。今度は僕がうつむく番だった。
「まあ、立ち話もなんだ。とりあえずそこに座れや」
彼が促す先には二人掛けのソファがあった。それは何ものにも触れられずに育った無垢な苔のような柔らかさを連想させた。きっと深緑色をしているからだろう。僕はそれに深々と腰を掛けてみて、しかし思ったほど柔らかくはないなと思った。
「……?」
彼の姿がない。いったいどこへ行ってしまったのだろう。反射的にあたりを見まわす。約十二畳ほどの部屋のどこにも彼はいなかった。そこで僕は唐突に、彼はタイムリープを行なったのではないか、という疑念にかられた。思わず中腰の姿勢を取る。特に意味はないのだけれども。
「とりあえずコーヒーでも飲んで落ち着……どうした?」
ふいに前方のドアが開いたと思ったらそこに彼がいて、手には白いトレー。その上には白いマグカップが二つだけある。どうやらコーヒーを淹れていたらしい。僕はそのトレーを一瞥してすぐに物足りなさを感じたが、しかしここは彼一流の気遣いに感謝するところだ。
「いえ、何でもありません」
そう言って僕はソファに腰掛けお茶を濁す。出されているのはコーヒーなのだが。
「インスタントだけどよ」
この味が良いんだ、と彼。僕は琥珀色の液体が満ちるマグカップを両手で受け取る。右手で把手を握り、ふうふうと吐息で珈琲を冷ましている途中でそれに気づいた。白一色だと思っていたマグカップの側面には「I♡北海道」とプリントされていた。複雑な心の動きで顔が再び上気してしまう。彼が握るマグカップの側面を半ば反射的に見た。「I♡秋田」とある。これは青森もあるな、と思った。
「コーヒーがお好きなのですか?」
僕はその名状しがたい感情をなるべく表に出さないよう努め——つまり平静を装いながら彼に尋ねた。
「ああ、特にインスタントがな。この簡単な味が俺に合ってるんだよ。馬鹿で単純だからな、俺」
そんなことはない。
「そんなことはないです。あなたはとても思慮深いお方だ。僕には判ります」
「いや……」
そんなことねェよ、と彼は消え入りそうな声でそう応える。
「いえ、そんなことあるのです。僕には判るのです」
自然と語気が荒くなる。ついむきになってしまった。
「お、おぅ……」
その後に続いた言葉は、しかしうまく聞き取れなかった。彼は両の手で包み込むようにして持っていたマグカップを一心に見つめ、薄く小さな唇だけをぱくぱくと小刻みに動かしていた。そうするとマグカップの中から適切な言葉が浮かび上がってくるのだ、と言わんばかりに、じいっと、マグカップを見つめていた。気づくと彼の耳は赤くなっていた。褒められ慣れていないのか、あるいは自信がないのか。もしくはその両方。ここで僕が彼を勇気づけなくて、いったい誰がそれを出来るだろう。ある種の使命感が僕を突き動かす。それは決して逃れることの出来ない激流であり、ほとんど流されるようにして僕はこう口走った。
「喩え砂糖とミルクがなかろうと、ソファが見かけ倒しの安物だろうと、マグカップが赤面もののダサさだろうと、あなたが思慮深い人であるという事実に変わりはないっ!」
「……」
「断じてっ!」
「……」
彼は顔を上げ——今ではマグカップではなく僕を見つめている——ぱくぱくと唇を動かしている。今や耳だけでなく顔まで真っ赤っかな彼だが、まだ適切な言葉を見つけていないらしい。
「あと、僕ブラック飲めないんで結構です」
「おととい来やがれ」
ついに見つけたというわけだ。
ところで僕はどうすれば良いのだろう?
プロローグ的な
人生のヒロイン探しをしているのならば〈季節外れの転校〉などをやってみたりすると、人生という長期的な尺度でものを見た場合、存外に手っ取り早く見つかったりする。
窓際あたりの席で頬杖をつき、半覚醒気味の眼で見るとはなしに校庭に迷いこんだ犬を見ながら、あくびを噛み殺すそぶりも見せぬ奔放な娘の作画は終始乱れない。
そのような娘がいる教室に入り、とりあえず簡潔な自己紹介あたりからしてみると良い。
きっとそのような娘あたりが席を立ち、あーだのえーだの言い出すに違いなく、もれなく「アンタ今朝の」と続けてくる。
【過去の回想】
それは曲がり角での出来事
おせっかいな神様のステキなイタズラ
~ジャムトーストを添えて~
【過去の回想】
事が定石通りにベルトコンベア上を進んでいるのなら、娘の震える指先があなたの顔を捉えて離さない。
あなたに用意された席は娘の隣である。
定年が間近に迫る年配の先生からそう告げられる。
なぜといって、かなり都合良く娘の隣が空席なのであるからそうなのである。
これは有史以前から何かしらの理由でそう決まっていて、星々の運行のように正確且つ周期的なものであり、ここであなたの〈教科書を忘れる〉という予定とそう大差のない定型である。
教科書を見せてもらう際、なんでアンタなんかにとか、しょうがないわねとか、娘から一方的に嫌悪感を丸出されている状態のあなたなのであるが、しかしあなたがこれまでに行なったことと言えば自己紹介くらいなもので、なぜこのような仕打ちを受けなければならないのか、その理由がまったく判らず、自身の置かれた境遇を呪ってみたくなるかも知れない。あなたが人生におけるある種の諦念や達観を会得しているのなら、やれやれと肩をすくめてしまうかも知れない。やれやれ転校早々先が思いやられる、という具合に。
しかしこれはほんの少しだけ諦めずに待ってみて、決して損はしない類の話なのである。
体育以外の授業風景は諸事情により、というかスポンサー的なアレにより割愛される。
放課後。
親しい友達のいないピカピカの転校生であるところのあなたは、おそらく一人きりで帰路に着く。
鞄を手に持ち、教室を出る。
前方には件の娘。
娘の後ろをあなたは歩く。
前を歩く娘。後ろを歩くあなた。
前に娘。後ろにあなた。
もちろんこれも定型であり、あなたと娘の間に、カチリカチリと歯車が組み立てられる。
人気のない丘を登り、夕陽が街並みへと消えかかる頃に至ってようやく、先に業を煮やすのは前を歩く娘の方である。
「なんでついてくるのよ」
このような手合いに対し、質問を質問で返すという行動は愚行中の愚行であり「なぜお前が俺の先を歩いているのか」と問い返してみたいという好奇心なんぞは、ひと思いにキュッと絞め殺すべきである。ここは素直に「俺ん家こっちだから」と返すに限り、この類の物語はベターに事を進めることこそが肝要なのだ。
「別の道で帰りなさいよ」
娘は〈必然〉が人型を成したような娘であるから、まず間違いなくこう言い返してくるパターンの〈必然〉なのである。
そこであなたはこう思う。自宅と学校とはほとんど一本道で結ばれており迂回路などないのだが、と。
あなたはそのような思考を「いや、その…」という曖昧にすぎる前置きから始めて〈必然〉に伝えようと努力する。
そこで一陣の風が吹く。いや、〈必然〉が自身の半径50メートル以内にのみ風を吹かせる。〈必然〉のスカートがたなびきめくれ、あなたは絶対的な不可侵領域を目撃する。
「何も見てない」
「変態!」
〈ラッキースケベ〉とは何かの思惑によってそのすべてが仕組まれた〈必然〉という機構のほんの一部分を切り取った現象にすぎない。娘が〈必然〉そのものであり、その一部を成す不可侵領域が〈ラッキースケベ〉として機能しているという事実が何よりの証明である。
無意識的に間の抜けたリアクションを採ってしまったあなたは、くっきりと紅葉型に腫れた左頬を土産に持ち帰ることになる。これはもちろん通過儀礼であり、これより先に進むための通行手形である。
翌朝。
ネクタイの存在意義を脅かしかねない造作で、丹念に丁寧にノットを緩め終えたあなたは、二度目の登校をするべく玄関を開ける。
そこで〈ラーメン屋で隣の客と水を飲むタイミングがかぶってしまう現象〉と同種の気色悪さが寝起きのあなたを唐突に襲う。隣家の玄関が同時に開くのだ。
隣家の玄関には〈必然〉。
「何でアンタがここにいんのよ」
朝っぱらからではあるが我慢が肝要である。この先、この類の我慢すべき場面は山ほどあるのだから。ブルペンでの肩慣らしであると思うと良い。
「ここ俺ん家だから」
あくまで素直に。一問一答形式を崩さずに。Q.1に対してはA.1で。そうすることで〈必然〉の方から勝手に仕掛けてきてくれるし『雄弁は銀沈黙は金』なのだ。どう足掻いても〈必然〉の思惑通りに事が運んでしまうような段階であるならば、こちら側の手数は最小限に抑えるべきだ。言うべきことだけを言っておけば良い。特にあなたは我慢を強いられる類の立ち位置にいるのだから。効率を考えて行動していないと精神力はもとより、話数から足りなくなる。
プログラマティックな仕草で天を仰ぐ〈必然〉。癪にさわるがスルーして良い。スルーするに限る。とりあえずのところ、君の仕事はここでひと段落する。〈必然〉の悲鳴でカメラが上空にパンし、EDテーマが流れるからだ。
ふう、一件落着。
とはならない。
〈必然〉というものは人気がない。
ある意味において。
そのように精巧に造られすぎているキャラは、精巧に造られすぎているが故に魅力的に見えない。言葉のひとつひとつが一糸乱れぬ歯車の噛み合う音に聞こえ、やはり作画は乱れず、すべてが予め定められたビスクドール。観賞用としては悪くない出来だが、そう、あくまで観賞用として。そこに留まり、そこより先はお勧め出来ず、その先に踏みいろうとするのなら、あなたは無数の歯車に巻き込まれ粉々になり、やがてペースト状にとろける。歯車の潤滑油として機能することになる。いわゆる「ケツの毛までむしられる」というやつだ。
まったく、世知辛いことこの上ない。
そのように百害あって一利なし風な〈必然〉であるが、昔から言われているように馬鹿と鋏は使いようである。
使用法はいたってシンプル。出来る限り行動を共にする。ただそれだけ。
そう。ただそれだけをひたすらに12〜13話ほどこなせば良い。場合によっては24〜26話になったりするが、まあそれはそれ。最近では2分割されたりもするのでご安心を。
〈必然〉の見分け方については最前に述べた通り、〈初日に何かとイチャモンをつけてくるヤツ〉である。そしてそれは高確率でツンデレである。この傾向は21世紀に入り、より顕著なものとなっており、見分けるポイントのひとつである。
そして〈必然〉と行動を共にしたあなたは、おそらくひとつの解答を得る。
普通が一番だ——と。
つまり〈必然〉と行動を共にすることであなたなりの〈普通〉が解りますよ、という簡単なお仕事です。
何をもって〈普通〉とするのか、その解は個々で違ってくるのだけれども、そいつも含めて解る。
今まで普通じゃないと思ってたことって案外〈普通〉なんだな、みたいな。
およそそのような荒療治。理想で曇りきった色眼鏡をサラサラに粉砕するための1クール、もしくは2クール。
結局のところはちょっとクセのあるモブキャラあたりに落ち着いて、穏やかな日常を手にする。そういうのでちょうど良い。そういうのがヒロインで良い。
さて。
そのような日常を手に入れるためには、まず〈必然〉——つまりツンデレを手なずけなくてはならないのだが……